【記念誌より】日進の名前の由来は?/ふたつの高等小学校

※本記事は日進小学校創立150周年記念誌の内容を掲載しているものです。

日進の名前の由来は?

1885年4月19日の新校舎完成と同時に校名を「日進学校」とした日進小。では、地名にはなかったこの「日進」という言葉はどこから来たのでしょうか。


この時、上加学校は上加村をはじめとする11カ村連合戸長役場が設置者となっていたので、「上加学校」の名称を変えるべきとの意見が出ていました。また、県庁でも新町村制施行によって町村の名称が変わることも予想されていたので、学校には地域名以外の名称をつけるように指導していました。

これを受けて、連合戸長だった高橋源之輔氏は考えに考え「日進」という名を決めました。高橋氏がこの2文字を選び出した経緯などは明確には分かりません。そのため、様々な説がありました。
 

私(筆者)が以前、「日進 教育の150年」という本を出版したときには、「日進小学校沿革史」の記載をもとに、「当時、日進月歩という言葉は浸透していなかった。漢字の素養があった当時32歳の高橋氏が古い文書などから選んだ可能性が高いとされている。」と書いた上で、可能性として考えられるものを3つ挙げました。
そのとき挙げたものが 


「由教而信 有日進之功」(文人謝霊運)
「取善以輔仁、則徳日進」(論語顔淵)
「一時西洋ノ所長ヲトリ、日進ノ効ヲ奏スト・・・」(侍講・元田永孚)


の3つです。そのほか、日進町1丁目自治会の篠田彬会長によると、


「君子敬其在己者、而不慕其在天者、是以日進也」(荀子天論編十)

という記述も考えられるそうです。

しかし、記念誌制作にあたり資料を読み進めていくうちに、新たに有力な説が浮上しました。1920年に埼玉県師範学校の生徒がまとめた「郷土史」に「そもそも日進とは字の如く村の発展は日の進む如くなれかしと云ふ意なりとぞ」と書いてあったのです。だいたい「そもそも日進というのは字のとおり村の発展は日が進むようになってほしいという意味だ」となるでしょうか。いろいろと言われていましたが、これは実にシンプル!


もちろんこれが本当の理由だとは限りませんが、日進の由来について言及する最古の資料であることから、可能性は高いと思います。

▲「郷土史」の記述。後半に「そもそも日進とは~」の一節が見える。

ふたつの高等小学校

それまで1年生から8年生(今の中学2年生)が同じ日進学校で学んでいましたが、1887年から、4年ずつに分けることになりました。現在の小学4年生までが尋常小学校で、それ以降の4年は高等小学校で学ぶ、という仕組みです。

1892年設置の日新高等小学校は表記が「日新」ですが、これは設置者が大宮・日進・三橋・指扇・植水・宮原の1町5ヵ村組合になったことで、日進の名前を付けたい日進村と他村が折り合った結果と推測されています。