【インタビュー】元市議に聞く(1) バリアフリーが進んだ20年 傳田ひろみさん

みなさん、こんにちは! 大宮・日進の地域情報サイト「最新!NISSIN」代表のnorthです。

今回は「元市議に聞く」ということで、2023年をもって引退された元さいたま市議の傳田(でんだ)ひろみさんにこれまでの取り組みについて伺いました。

※傳田さんが日進について回想してくれた「私と日進」はこちらからどうぞ!

市議に初当選

north:こんにちは。今回は傳田さんが市議を引退されたということで、これまでの20年間を振り返っていただきたいと思います。よろしくお願いします!

傳田:よろしくお願いします。

north:まず、傳田さんはさいたま市になって初めての2003年の選挙で初当選されたということですが、なぜ市議を目指したのか教えてください。

傳田:はい。私自身は車いすで生活していますが、以前は障がい者の地域デイケア施設長をやっておりました。そんななか、当時大宮市議だった女性から「女性議員を増やしたい」と声を掛けられ、県議会議員の女性がやっている政治塾への参加を決めました。当時は学校や大宮駅などにもエレベーターが整っておらず、議員になれば現状を変えることが出来るのではと、市議に無所属で立候補し、当選しました。

市議会のバリアフリーは・・・

north:そのような経緯があったのですね。傳田さんは電動車いすを使われているということでしたが、議会はどういった対応をしたのでしょうか?

傳田:当時のさいたま市議会は、最前列は段差を取り除きましたが、2段目からは段差がありました。その後、議会事務局がスロープを設置してくれて、席に座ることが出来ました。

north:議会事務局が対応してくれたのですね。

傳田:はい。そのほか、演壇を電動で上下できるものにもしてくれました。

市議会で行ったこと

north:議員になってからなのですが、実現させたことや進めてきたことがあれば教えてください。

傳田:一番印象に残っているのは、2012年に制定された「誰もが共に暮らすための障害者の権利の擁護等に関する条例」、通称「ノーマライゼーション条例」です。ノーマライゼーション条例は「障害のある人もない人も、誰もが共に暮らすことのできる街づくり」を目指して制定された条例で、作る際には「100人委員会」という、実際に当事者や市民の意見を取り入れる委員会をおいて作るようにしました。現場の声を聴きながらだったので、1年以上かけましたね。そのほか、土呂駅へのエレベーター設置や、学校への階段昇降機やエレベーターの設置などをしました。

▲日進中学校の階段。昇降機のレールが見える。

north:ありがとうございます。バリアフリーに特に力を入れてきたのですね。普段過ごしていると気づきにくいですが、少しの段差でも障害になることがあると聞きます。当事者だからこそ、より意味のある条例にできたのかもしれませんね。他に取り組んだことはありますか?

傳田:まだ空き家問題がそれほどあらわになっていないときに、空き家対策のプロジェクトチームが出来たことも印象深いです。それまでは空き家の活用などに取り組めていなかったので、今後も対策が進むといいなと思います。

引退と今後

north:2023年4月の選挙には立候補せずに引退という形になりましたが、これはなぜでしょう?

傳田:もう私も無所属時代から含めて5期20年務めましたので、次に世代交代をしようということです。

north:なるほど。それでは最後に、今後のさいたま市について願うことをお聞かせください。

傳田:歳を重ねても、障がいが重くても、地域でみんなが一緒に暮らしていけるような街になってほしいと思います。

north:本日はありがとうございました!

傳田:ありがとうございました!

お話してくれた人

傳田ひろみ(でんだ・ひろみ)

1948年、東京生まれ。横浜に住んでいるとき、脊髄性小児麻痺により手足がまひ。小学校3年生の時日進に転居し、大学卒業後は学習塾を開き運営。その後、電動車いすを使い始め、1996年に「OMIYAばりあフリー研究会」立ち上げ。2003年にさいたま市議選で初当選。当初は無所属で、4期目途中からは立憲民主党に加入しさいたま市議を5期20年務める。